よく子供向けのお話で、悪役が出てくる。その悪役がどうして悪役に成ったのか?という点がクライマックスなどで明かされることがある。
パターンの一つとして、母親の愛情が足りなかったなど悪人の幼少期の話をすることがある。
その明かされ方は、いわゆる少し同情を誘うような、「俺も本当は、まっとうに生きたかった。けれどしかし、幼少期の環境が・・・」というように悪役自身が悪いのではなく、あくまで環境の要因だったというニュアンスが示される。
近い話として、別々に育てられた双生児の成長の違いを研究するものがあるようだが、そこでも環境要因というのは人間の発達に大きな影響を及ぼすとされているので、それがお話に応用されたとして変ではないと思う。
もしくは、母に捨てられてとか、みなしごで親戚中をたらいまわしにされてとか、虐待を受けていたとか、戦争孤児だったとか、色々なパターンがある。
ひとつずつ具体例を挙げるのは難しいけれど、例えば「こどものおもちゃ」という少女漫画では主人公が母親に捨てられた過去を持ち、そのせいで一時感情表現を失う病気になる。そういう描写も、飲み込めるというか、因果関係として成り立つ感覚のほうに注目したい(母親に捨てられたのであれば、そういった病気にもなるだろうという因果関係)
一応例外もあって、少年漫画に多いような気がするが、最初から先天的に悪だったパターンだ。
例えば、ワンピースのジョーカー・鬼滅の刃の無惨など、私が読み飛ばして無ければ、あくまで本人の資質という描かれかたをしていた。
ところで母性の不在というのは、非常に重いものだ。
なぜなら、哺乳類の子供というのは、血のつながった母かどうかはともかく、世話をする人がいないと生きられない
そういう意味では、「母親の愛情が足りなかった」「母性の不在」という表現は、2パターンの意味がある
一つは死に繋がる話で、ネグレクトや「言う事を聞かないと山に捨てるよ」など脅し文句。またはもっと直接の暴力を受ける場合。
二つめは、子供が寂しがり、別に命には全然関わってない範疇で例えば兄弟と比べて自分は愛されていないとゴネたりする。
お母さんは構ってくれない。その話が生死を分かつ話なことも有れば、家族喧嘩の場合もある
子供が駄々をこねるものだ、というのは自分の経験から来ていて、今思うと優しい母親の元で育ったのだが、当時は色々駄々をこねた記憶が有る。幸せな家庭で育っても、子供と言うものはいくらでも寂しがるし、母の愛を足りないと主張する生き物だという仮定で話している
こういう、母性というものが語られる時の幅の広さ。もう一度言うが、死につながる虐待を示すこともあれば家族喧嘩の事もある。
湊かなえが母性というタイトルを付けるとき、これは必ず前者の話だと分かった。
著者の作品に初めて出会ったのは、夜行観覧車というドラマだ。
その中では家族のえぐい部分をくりぬくというか、そういう話だったので、「湊かなえ」「母性」その2ワードを同時にみると、必ずこのお話はえぐいだろう。そう予想された。
さて、前置きが長くなったが、本の内容の話。
最初に視点(カメラ)というものから説明していきたい
この本の中でカメラは3箇所に設置されている
① 母親が告解室で回顧録的に語る話
② 娘が暗闇の中で回顧録的に語る話
③ 当人たちとは直接は関係のない新聞記者
母親の語りが、告解室なのに対し、娘の語りは、「暗闇の中」としか描かれていない。自殺未遂をして目を覚まさない期間が有ったので、その覚醒しない生死の境みたいな中で、娘の意識の中だけで繰り広げられる回想なのじゃないかと思う。そして死に際に回想するにはあまりにも暗く、娘が可哀そうなのだけどそれは別の話。
少なくとも、3人の語り手の話がじゅんぐり回って事件の真相に近づいていくタイプのお話だ。
少なくとも、私が捉えたこの母性というお話は、暴力がいかに家庭の外から見えないかという話だ
外からどころか、近くで見ていても分からないし、分かっても助けることが出来ない
分からないのだけど、恐らく現実こういうものさ、というニュアンスで言いたいのではないかな、と思っている。つまり、著者は特殊な家庭が陥った災難とは描いてない。少なくとも、コナンの犯人みたいに、ミステリーの骨格を成り立たす為に登場人物に暴力を振るわせてる訳ではない。
お話の中には大なり小なり暴力というものが出てくる。
例えば、鬼の姑からいじめられる事も一つの暴力
小さな子供が妊娠している人間をけっとばすのも暴力
夫が外に女を作って逃げていくというのも暴力
上記のものは比較的分かりやすく描かれている暴力で
話の骨格というか、筋道となっている。客観的に認識されている暴力ともいえる
それとは別に、細かい暴力描写については、安定して読む事が出来ない
何故か?それは視点によってチグハグだからだ。
殴られたと描いている描写がある。あまりにもサラリと描いてあるし、母娘の主張が食い違うので、一瞬分からなくなる
例えば、普通暴力を描写するとすれば、「母はゆっくりと身を持ち上げ私の方に向き直り、右手を振り下ろした。その時私は~と感じて・・・」という感じの物が一つぐらいあって良いはずなのに一つもない。家庭の暴力を扱うのであれば、その初めて暴力を受ける瞬間はショックだったろうし、なにか、事件的な描かれ方をするはずだと思うのだけど、そうではない。
サラリと娘が告白する(回想する)のである「テストで間違えた問題の数だけ殴られた」など。これは、母の視点では一切語られないので、客観的に証明されていない暴力である。
母視点の回想の仕方には、いわゆるまじめな女性が心から告解しているようなニュアンスがある。
嘘をつこうと思ってついている人間のつきかたではなくて、精神病的な嘘だ。
この母親が健全であれば、こういうだろう
「姑との同居によるストレスや最愛の母親を亡くしたストレスで、夜には布団のなかで娘を強くなぐったこともありました。かなり冷たい言葉をかけましたし、テストの点数によって殴ったこともあります」
しかし告解室であるはずなのに、この告白が一切合切抜けている。
また、主人公の夫も幼少期父親から暴力を受けていた
それを妻が知ったのは、もう結婚して十何年というときに、義母によって知らされた
それまで、知らなかったという描写もある
そしてその是非を問うたりする作品ではなくて、そのくらい暴力というものが当事者たちの間では日常に転がっていていますよ、と言いたいのだと思う。そして誰も気が付かないまま当事者の心はどんどん固く閉ざされ、ますます外部に知られないことになる。
著者の本音的なものを感じる文章が有る。主人公の母親が、「自分の母」「自分の娘」どちらを助けるか実際に判断させられるシーンがある。
未来のある者を残すべきだとか、母親なら子供を選ぶのが当然だとか、お茶を飲みながらの机上の空論などまっぴらです。そんな人はきっと、どちらも助けずに、逃げ出すのでしょうけど。
本文72ページ
このセリフは、一部精神がおかしい母親のものだが、おそらく著者の本音ではないかと思う。だから、机上の空論でこの母親は失格だとか、そういうことを論じてほしいのでは無いと受け取る。それよりも、ぶたれるとか、拳骨をくらうとか、あまりに家庭内の暴力は、ステルスされて、当事者の語りというのは信用成らないし、暴力を受けたことの無い人間には、一言「殴られた」と伝えられても一瞬何のことか分からない。「あの瞬間こういった理由で殴られて、とても怖かった助けて」と誰かが訴えればさすがに分かるが、そういうセリフは当事者からは出てこない物だと、著者は言いたかったのではないだろうか。